青葉台駅伝言板

考えをまとめるための日記。頭を整理するごとに書き換えてしまうので、そんなつもりで優しく見てくーださぃ

雑感(ある意味、古きノントラスト)

大昔のこと、交換機の付帯系システムのプログラミングをしていた。始まりはまだ昭和の終わり、DKUが1GBで1000万円だった頃。(うーん、それから考えると、今はSDメモリだと1TBで1万円くらいかな。ビット単価は100万分の1だな。30年以上前だが)

一般のヒトがインターネットなんか使わないし、まだそんなものの存在を知らない。サイバー攻撃なんて言葉もないし、セキュリティという言葉の概念も怪しい時代(権限管理くらいしかなかったんじゃないかな)に、とあるサービスのロジックを作る担当となった。

当時のシステムづくりは、交換機は電電公社の専用OS。まだUNIXマルチタスクのOSとしては信じられずで使えない。VAX/VMSのOSのメモリ管理も信じられないから、システムの立ち上げ時はアプリレイヤで利用できるメモリを一括管理して、プログラムの処理で必要なときにメモリを獲得して、不要になるとメモリを返す。

サービスというのはクレジットカード番号の照合とか、検索情報に沿って必要な処理と、次状態の数字を管理する処理。

 

計算機のリソースの問題もあるし、そもそもOSも、ヒトからのプログラム参照もいろいろと信じてないから、プログラムは考えれば考えるほどダラダラとは書けずに、カプセル化されていく。参照できる引数は事前にチェックするし、想定外の参照はすぐに-1で返す。

オブジェクト指向に従ってカプセル化していったのではなく、オブジェクト指向という考え方はその数年後に汎用機にやってきた。(オブジェクト指向は70年代にアラン・ケイが提唱したことになっているが、そもそも汎用機にSmallTalkを使うなんて、当時でも夢にも思わない。)だから、その頃のヒトは、オブジェクト指向という概念が普及する前から同じような悩みをして苦労して、なんとなく安定して構築できる手法を模索していく。で、そのあとにオブジェクト指向という概念が出てくると、「ああ、やっぱり、そうだったんだね」と納得して、また開発を進める。この頃の開発は全部でせいぜいC言語で数万行くらいだったから、試験は全アルゴリズムを検査したように思う。

 

で、ここまで書いて、何が書きたかったんだっけ。あ、そうだ。もともといろんなものは、最初はノントラストだったんですよ。それがいつのかにか便利になって、便利なツールを利用していたら、インターネットで何でも手に入るし、つながるし、いろんなツールやサービスも利用できるし、でもその中のミスコーディングとか、脆弱性、サービス仕様によって処理が脅かされているってことなんで、今一度基本に立ち返ってみるのもいいのかな、というところ、ですかね。

 

なーんて考えながらググってたら、すごい資料が落ちてた。古いヒトからすれば、若い頃に帰れる資料だね。

https://hct.lab.gvm-jp.groupis-ex.ntt/panel/pdf/1_A_11_1.pdf

 

電電公社がNTTと呼ばれて株式公開でフィーバーが起きた頃の話。レジェンドだね。

生成系AIにイメージを書かせたら、こんなイメージで返しやがった。ここまで古くはない・・・