青葉台駅伝言板

考えをまとめるための日記。頭を整理するごとに書き換えてしまうので、そんなつもりで優しく見てくーださぃ

組織運営と属人性

年収をあげないと日本経済が回っていかない。

諸外国に比べて、日本は相対的に給与が低いのではないか。

 

などの記事が取り沙汰されている。

 そもそも給与を生涯賃金キャリアプランとして中長期的に捉えるのか、あくまで職能、技能に対して給与を対価として支払っていくのか、それとも時間単価に対して単価として支払っていくのか、様々だと思う。

 

 組織を作る場合に、誰でもできるように組織を作るというのも一つの考え方。従来の公務員制度は、その例の一つではないかと思う。

 省庁があり、その中に部局があり、職位と定員がある。それぞれの組織や職位には権限が規定されていて、新入職員からキャリアやノンキャリという人材像があり、その中に号俸給が適用されたり、特殊職能に給与をつけたり。

 設計は、すごく論理的。人さえいれば、基本的には業務は回る。だからこそ、2年に1回、定期人事異動をしても、組織は理論上、回すことはできる。

 

 他方、ジョブ型人事制度。米国のようにそれぞれの職位に職務定義があって、その職務を転々とすることにより、本人がキャリアアップしたい場合は職務を上げていく。こちらも今のはやりで、若手がキャリアアップするのに、公務員制度などに比較すると時間がかからないことや、新しいビジネスに対して新しい職務を定義して対応もできる。資格や技能向上を職務とセットしてしまえば、社員がそれぞれ自己研鑽を行うモチベーションにもなる。

 

 で、公務員制度にしろ、ジョブ型人事制度にしろ、そこをうまく動かす原動力が、評価制度。評価という、眼の前に人参をぶら下げることで、社員が頑張るようなモチベーションに設計して、運用される。

 

 さて、こうなったときに、社員や職員といった、被雇用者側がどのように仕事をすべきなのか。

 

 自分がどこかで、次のポジションに異動することを考えると、引き継ぎがし易い、いわゆる手離れのし易い仕事の仕方ができればありがたい。他方、評価制度では、「あの人しか出来ないような、一段、高い仕事を目標立てて、仕事をした人が、良い評価を受けやすいようでもある。

 被雇用者がスキルや経験を積んでもらうのは大事だし、そもそもスキルや経験に対して対価をもらうほうが、時間単価にもらうのに比べるよりも、本来は給与は高くなるべきであって、スキルは一定積み上がる。

 しかし、ジョブディスクリプション(職能定義)で定義した職務範囲を逸脱して高い仕事や、その人しかできない仕事のやり方(でも成果が出るやり方)が進んでくると、仕事は非常に手離れが悪くなる。組織運営に手離れの悪さや属人性はあまりありがたいことではないから、本来は排除したいのだけれども、実際はそういう手離れの悪い人が結果として、組織を支えることになることが多い。

 

 雇い止めや整理解雇、希望退職で意図せず契約が切れてしまう人が、評価の高い、しかし手離れの悪い仕事のやり方ができれば、意図せず会社側から勤務を切られることは少なくなるようである。

 

 もちろん、鼻につく、疎まれる人材も、鬱陶しいんだけど。

 今回のメモにオチはありません。